「石原慎太郎」の版間の差分

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==== 東京マラソン ====
 
==== 東京マラソン ====
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[[東京マラソン]]参照
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2003年、石原は「経済波及効果、スポーツや観光の振興につながる」と述べ、銀座などの目抜き通りを走る構想を発表。石原の提唱により、東京都と日本陸上競技連盟で大都市マラソンを開催することを目指して協議を開始し、2005年両者は「東京マラソンに関する基本合意」を締結。
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制限時間について事務局サイドが7時間を想定したのに対し、公道を警備する警視庁は5時間を求めたが、石原が[[ニューヨークシティマラソン]]のランナーから東京マラソンでは7時間にするよう要望されたことが念頭にあり、組織委員会の実務責任者だった遠藤雅彦は「7時間を一歩も譲るな」と担当者に指示、折衝は難航を極めるが、最終的には石原の後押しもあって事務局サイドの主張が通る形となった。2007年の第1回大会には9万5千人の応募者から抽選で選ばれた約3万人が参加し、沿道には178万人の観衆が集まった。
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大会会長を務める石原は、2008年2月15日の会見において当初よりも参加枠を広げていることを示し、「将来的に5万人」にして世界の市民マラソンに匹敵する大会にしたいという目標を述べた。また、2009年3月19日の定例会見では「多額の参加費を支払う人の別参加枠を 1,000人ほど設けて、参加費を超える部分をチャリティに使いたい」と目標を述べ、2010年10月15日の定例会見においてチャリティー枠を1,000人募集すると発表。2011年大会では参加費10万円のチャリティー枠に応募した707名から約7,300万円の寄付金が集まり、寄付金は[[東日本大震災]]の復興支援などに充てられた。応募者が参加枠の1000名を超えると期待していた石原は707名という応募者数について、他国の事例からすると募集をアナウンスしてから締め切るまでの時間が短すぎたことが誤算であったとし、それでも7000万の寄付金が集まったことは良い事例ができたものであり、翌年からはもっと多くの応募があることを期待しているという声明を出した。
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[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]日本語版の山口肇記者は、石原の肝いりで始まった東京マラソンは市民ランナーの増加に大きく貢献してきたとし、2011年大会において石原が都知事最後となる可能性があったことから、石原が都知事を辞めた場合、2012年以降の大会運営が気になるとして、後任知事の「事業仕分け」の対象になることを危惧するという一市民ランナーとしての見解を伝えた。
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==== 三宅島オートバイレース大会 ====
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[[チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル]]参照
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石原は[[2000年]] (平成12年) に発生した[[三宅島]][[火山]]の[[噴火]]による観光客減少への対策として、[[イギリス]]の[[マン島]]で行われている[[マン島TTレース]]を参考に、日本初となる[[一般道路]]を使用した本格的な[[オートバイ]][[レース]]を三宅島で開催することを提唱した。レースは[[東京都]]と[[三宅村]]が主催し、[[2007年]] (平成19年) [[11月9日]]から[[11月11日|11日]]に開催が予定されていたが、「公道でスピードを競うのは危険すぎる」との意見が[[本田技研工業]]など二輪大手4社から続出し、中止が決定した。都は、専門家による検討経費などに4000万円、都道改修に3億円を2007年度予算に計上していた。結局、三宅村では代替イベントとして[[チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル]]を開催することを発表している。
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東京都が2006年 (平成18年) に三宅島で実施したテスト走行に参加したプロレーサー3人のうち2人が報告書で危険性を指摘し、公道レースの開催に反対を表明していることが2007年 (平成19年) 2月23日の都議会で明らかになっており、バイクレースの専門家からも「殺人レースだ。絶対にやめるべし」と批判されていることに対し、石原は「レースは危険があるからエキサイトする。ある程度ライダーの自己責任もある」として同レースを強行する姿勢を示していた。また、『朝日新聞』は「三宅島は現在も火山ガスが噴出しており航空路は再開していないため、観光客誘致の起爆剤となるのかは未知数」と報じた。石原は観光客や機材の輸送には海路を用いる考えを示していた。
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==== 築地市場移転計画 ====
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[[築地市場#市場移転問題]]参照
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石原は、中央区[[築地]]にある[[築地市場]]を、施設の老朽化や[[石綿|アスベスト]]問題のため、[[2012年]]度を目処に江東区[[豊洲]]地区へ移転させる方針を明らかにしているが、予定地である[[東京ガス]]の工場跡地において、環境基準を超える毒物 ([[鉛]]・[[ヒ素]]・[[六価クロム]]・[[シアン]]・[[水銀]]・[[ベンゼン]]の6種類が国の環境基準を超えており、[[発癌性物質]]であるベンゼンにいたっては国の基準の1500倍である) が検出されるなど土壌汚染が判明している。また、土壌を入れ替え、アスファルトで被覆する都の対策では不十分との指摘がある。一部の関係者は「生鮮食品を扱う市場の移転先としては論外」とし、築地市場移転反対派の団体「市場を考える会」が中心となって移転反対運動を行っている。
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石原は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」と述べて、移転計画に変更は無いとし、移転後の跡地には「[[2016年東京オリンピック構想|2016年東京オリンピック]]」のメディアセンターを建設する構想を明らかにしている。
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また、石原は2006年 (平成18年) 9月8日の定例記者会見において[[築地市場]]跡地に「NHKが移転する」と発言したが、NHKは「そんな計画はない」と否定している。
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2007年 (平成19年) 10月6日には、東京都は移転予定の豊洲において調査した56カ所のうち14カ所で有害物質のベンゼンが基準値の1000倍の値で検出されたと発表した。
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==== 参議院議員宿舎建て替えに反対表明 ====
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[[議員宿舎#参議院議員宿舎]]参照
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[[都心]]部である[[千代田区]][[紀尾井町]]に残るわずかな緑の空間を候補地にした、[[参議院]]による新清水谷[[議員宿舎]]建て替えに反対を表明した。宿舎立て替えは2011年現在、まだ着工には至っていない。
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==== 都立霊園再開発 ====
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[[谷中霊園]]や[[青山霊園]]など、使用料の払われていない[[無縁仏|無縁墓地]]を整理・除去し、空いたスペースを2003年 (平成15年) より新たな貸付スペースとしている。併せて、霊園内の再開発の理由も相まって、舗道の敷石の撤去、前述の新たな貸付スペース確保の理由と合わせて大木など木々の伐採が進み、さらに側溝板の設置などにより、そこを寝床等にしている周辺の小動物などに影響が出ている。また、無縁墓地の改葬には[[外人墓地]]は含まれないことになり、[[日本人墓地]]だけが対象となっている。
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==== 都営住宅・特別養護老人ホームの増設拒否 ====
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石原は、前記の通り「何が贅沢かと言えば、まず福祉」とする政策の下、都営住宅・特別養護老人ホームの増設を一切拒否しており、これら高齢者用の施設への入居を必要としながら入居することのできない高齢者が2011年4月1日の時点で4万3千人を超えている。2009年3月30日、[[群馬県]][[渋川市]]の無届老人ホーム「たまゆら」で火災が発生し、入居していた高齢者10人が死亡したが、そのうち7人は東京都内に入居できる施設がなく、最終的に都外の「たまゆら」へ追いやられた高齢者であったと東京土建労働組合は主張している。
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==== 都立児童養護施設の廃止 ====
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石原は、前記の通り「何が贅沢かと言えば、まず福祉」とする政策の下、病弱児の児童養護施設・成東児童保健院をはじめ、都外に設置されていた3か所の都立児童養護施設を廃止した。
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これらの施設に入っていた子どもたちは、「ぼくたちの安心の居場所をなくさないで」と訴えたが願いは聞き入れられなかったと共産党は主張している。
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==== 「非実在青少年」規制 ====
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[[東京都議会]]の平成22年第1回定例会で「[[児童ポルノ]]や子供への[[強姦]]等を描いた[[漫画]]の蔓延を、見て楽しむだけなら個人の自由である、いかなる内容であっても[[表現の自由]]である、と許容することは、これは自由の履き違えであり、青少年を守り育てる大人としての責任と自覚を欠いた、未成熟な人間の自己保身に他ならない」と述べて[[成人向け漫画]]の[[おたく|愛好家]]達を糾弾し、「青少年健全育成条例([[東京都青少年の健全な育成に関する条例]])を改正し、児童ポルノの根絶とこの種の図書類の蔓延の防止に向けて都が、都民、事業者と一体となって取り組み、現在のおぞましい状況にこの東京から決別していきたい」と宣言した。3月19日の定例会見では「私は残念ながらね、 (規制の) 対象となっているものは読んでもいないし、見てもいないのでねぇ」と言う一方で、漫画や[[アニメ]]が青少年に害悪を与えることがあるのかどうかについては「ありますよ、そりゃ。 (記者に向かって) ないと思うのか君」と根拠を示さずに断言した。
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同条例改正案は2010年 (平成22年) 6月14日都議会総務委員会において民主共産両党と生活者ネットワーク・みらいの反対票によって否決、同16日に本会議でも否決された。都議会で知事提出の条例案が否決されるのは12年ぶり。修正の上で民主、自民、公明の3党が再提出した結果、2010年 (平成22年) 12月15日に可決され成立した。
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石原本人の著作には18歳未満の児童に対する[[強姦]]・[[輪姦]]や、[[障害者]]女性に対する輪姦などを扱った物があり (『[[太陽の季節]]』『[[完全な遊戯]]』等。前者の映画化で内容が問題となり設置されたのが[[映倫]]である。また、『[[処刑の部屋]]』の映画に誘発された犯罪が実際に発生している) 、この点について [[ちばてつや]]は「知事が小説家としてどういう作品を書いてデビューしたかは皆さんご存じだと思う、表現は自由であり若者の支持を得てデビューした原点は忘れないで欲しい、文化が滅びる」と批判している。
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2010年 (平成22年) 12月17日、過去に行った「いかなる書物であっても、子供たちを犯罪や非行に教唆することはない」という自分の発言を撤回した。その際、発言当時には変態を是認するような作品は存在しなかったと釈明した。
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『J-CASTニュース』によれば、2011年 (平成23年) 5月17日、[[東京国際アニメフェア]]とこれに対抗して予定されていた「[[アニメ コンテンツ エキスポ]]」が共に[[東日本大震災]]の影響で中止されたことについて、生番組内で「両方とも震災でパーになった。ざまぁみろだ」と発言し、同時に、エロマンガを子どもの手の届くところに置くなという条例を作ったもので、なぜこれが言論統制なのか、と条例案への批判は当たらないとの見方を示し、その場に同席した [[田原総一郎]]は「例えば大人の本でも、ヌードが多い本なんかは、ビニールで囲ってある。その程度のことをやれってことでしょ?」と同意を示した。この際の石原の「ざまぁみろ」の発言に関して、朝日新聞は「このような発言を続ける人物が首都の首長でいられること、そして選んだ都民の神経を疑う」という読者の投書を載せた。
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=== 選挙公約 ===

2012年5月2日 (水) 15:31時点における版

石原 慎太郎

石原 慎太郎 (いしはら しんたろう、旧字体:石原 愼太郎1932年 (昭和7年) 9月30日 - ) は、日本政治家作家東京都知事 (第14・15・16・17代) 。

参議院議員 (1期) 、衆議院議員 (8期) 、環境庁長官 (第8代) 、運輸大臣 (第59代) を歴任した。

所属政党 = (自由民主党→) (無所属→) (自由民主党→) 無所属

1999年4月23日~現職

1987年11月6日1988年12月27日

1976年12月24日1977年11月28日
1972年12月~1995年4月
1968年7月8日1972年11月25日第33回衆議院議員総選挙立候補により自動失職

概要

兵庫県神戸市須磨区生まれ。湘南高等学校一橋大学法学部卒業。

一橋大学では社会心理学の南博ゼミに所属。大学在学中の1956年 (昭和31年) に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』 (盛田昭夫との共著) 、弟・裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった。現在、芥川賞選考委員。

ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、1968年 (昭和43年) に参議院議員選挙全国区から出馬し初当選。1972年 (昭和47年) には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後当選8回。1975年 (昭和50年) 、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬するも落選。その後衆議院議員に復帰し、1976年 (昭和51年) に福田赳夫内閣環境庁長官を、1987年 (昭和62年) に竹下内閣運輸大臣を歴任、1989年 (平成元年) には自民党総裁選に立候補し、海部俊樹に敗れる。1995年 (平成7年) 、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如議員辞職を表明した。

1999年東京都知事選挙に出馬。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、舛添要一鳩山邦夫明石康柿澤弘治といった有力候補を抑え初当選する。2003年東京都知事選挙では史上最高の得票率で再選、2007年東京都知事選挙では浅野史郎らを破り3選を果たす。2011年東京都知事選挙では当初不出馬が取り沙汰されたものの、東国原英夫らを破り4選。

都知事就任以降、毎年8月15日靖国参拝する。新しい歴史教科書をつくる会に賛同している。日本会議代表委員、戸塚ヨットスクールを支援する会会長を務める。江藤淳の後を引き継ぎ、産経新聞エッセイ『日本よ』を連載している。

趣味ヨットテニススキューバダイビング射撃。身長181cm、体重77kg、天秤座俳優石原裕次郎は弟。家族は妻 (石原典子) と4男 (自由民主党幹事長石原伸晃は長男、俳優・タレント石原良純は次男、前衆議院議員石原宏高は三男、画家石原延啓は四男) 。

石原は様々な差別的思想の考えを持っており、それに関しての部分が批判されることもあるが、逆に作家としての能力は高く評価されている。

略年譜

9月30日 - 兵庫県神戸市須磨区にて海運会社山下汽船に勤める石原潔・光子の長男として生まれる。父・潔は愛媛県長浜町に生まれ、旧制宇和島中学 (現在の宇和島東高校) を中退し山下汽船に入社した。店童 (てんどう) あがりだったにもかかわらず、最後は関連会社重役にまで出世した。母・光子は広島県厳島の出身。なお石原自身は神奈川県を出身地としている。
12月28日 - 弟の裕次郎が生まれる。
6月 - 父が小樽出張所主任となり北海道小樽市に転居。小樽藤幼稚園卒園し稲穂国民学校に進学
2月 - 父が東京支店副長の辞令を受け神奈川県逗子市に転居。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸。
4月 - 神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)へ進学。
立身出世主義的な校風に反撥し、胃腸の病を口実に1年間[[休学]。休学中は文学美術演劇音楽映画に耽溺し、フランス語を学習。
10月 - 父が脳溢血で急死。山下近海汽船社長二神範蔵から一橋大への進学と、当時できたばかりの公認会計士の取得を強くすすめられる。
4月 - 一橋大学法学部に入学。柔道部、サッカー部に入部する。簿記会計学などの勉強に励んだが半年間やってみて向いていないと悟り公認会計士になることを断念する。
12月 - 当時18歳だった石田由美子 (後に典子と改名) と結婚
1月 - 『太陽の季節』により第34回芥川賞を当時史上最年少で受賞、ベストセラーとなる。一橋大学法学部卒業。『太陽の季節』が日活で映画化され、弟・裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たし、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行する。
映画『太陽の季節』が公開された際、登場人物が強姦・不純異性交遊等を行う反社会的内容から映画を見た青少年への影響が取りざたされ、映画倫理委員会 (通称、映倫) が作られる契機となった。
4月19日 - 長男・伸晃が誕生。
- 東宝で映画「若い獣」の監督を務める。また、大江健三郎江藤淳谷川俊太郎寺山修司浅利慶太永六輔黛敏郎福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。
- 隊長として、南米横断1万キロ・ラリーラビットスクーターで参加。
1月15日 - 二男・良純が誕生。
3月 - 『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。
6月19日 - 三男・宏高が誕生。
- 四男・延啓が誕生。
- 読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材。
7月 - 第8回参議院議員通常選挙自民党から全国区に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。2位青島幸男・3位上田哲であり、ライバル関係になっていた。
11月 - 『スパルタ教育』を光文社より出版。
11月25日 - 参議院議員を辞職。
12月10日 - 衆議院選挙旧東京2区から無所属で出馬して当選。後に自民党に復党。
7月 - 渡辺美智雄中川一郎浜田幸一らと憲法改正や金権政治の打破を謳ったタカ派集団「青嵐会」を結成。
3月18日 - 衆議院議員を辞職。
4月13日 - 現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。
12月5日- 衆院選で国政に復帰(同区で民社党新人大内啓伍も当選)。同月24日発足の福田赳夫内閣_(改造)環境庁長官に就任。
- 弟の裕次郎が倒れた際に小笠原諸島から海上自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京し、公私混同として問題になる。燃料代は160万円かかっていた。
- 自由民主党の派閥自由革新同友会を継いで代表就任、後に清和会へ合流。黒シール事件によって野村秋介より抗議を受ける。
7月17日 - 弟・裕次郎が肝細胞癌で逝去 (52歳) 。
11月6日 - 竹下内閣運輸大臣に就任。
4月8日 - 『漁業施設がヨットに危険』と発言し、海上保安庁に漁業施設を総点検させることになる。
8月8日 - 亀井静香平沼赳夫園田博之らに推される形で自民党総裁選に出馬するも竹下派が推す河本派海部俊樹に敗れる。 『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。
2月18日 - 第39回衆議院議員総選挙旧東京4区で長男の伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。
4月14日 - 国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明(最初の地盤継承者は栗本慎一郎)。
- 弟の石原裕次郎をテーマに『弟』を発表。
4月11日 - 1999年東京都知事選挙に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「石原裕次郎の兄でございます」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。鳩山邦夫舛添要一明石康柿澤弘治ら有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選 (舛添と喧嘩別れした栗本や、栗本が同年末に復党する政党自由連合代表徳田虎雄の支援受けた)
4月13日 - 2003年東京都知事選挙に出馬。308万票(得票率史上最高)を獲得し、樋口恵子若林義春らを破り再選。石原の圧勝が事前に予想されていたためか、珍しく候補者の少ない都知事選であった。
11月17 - 21日 - 「弟」テレビドラマ化。
4月8日 - 2007年東京都知事選挙に出馬。投票の過半数にあたる281万票を獲得し、浅野史郎吉田万三黒川紀章らを破り3選。
4月10日 たちあがれ日本・応援団長就任
4月10日 - 一時は3期目での退任を考慮した中で、2011年東京都知事選挙に出馬を決断し、立候補。東国原英夫小池晃らを破り、2,615,120票を獲得して四選を果たした (得票率は43.4%) 。

学生時代

太陽の季節』を引っ提げて華々しくデビューしたとき、マスコミは慎太郎をこぞってとりあげた。「五つの道をゆく“石原慎太郎”批判」と題し、9ページもの大特集を組んだ『サンデー毎日』 (1956年9月9日号) もその一つだった。この記事の中に、湘南高校時代の慎太郎の左翼活動に関する一節がある。

慎太郎が高校一年の時だった。学生運動が盛んになろうとしていた1948年に、民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作った。日本共産党へのヒロイックな気持にかられていた時、母は“大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんが、どんなに反対しても、私は賛成する”この言葉にそのあくる日から彼は学生運動を離れている。

慎太郎は後にこの点について、『芸術生活』編集長の御木白日との対談の中で「女親っていうのはバカだから。主義主張が母親の意見で変わるなんてウソですよ。精神風俗としてそういうものに興味をもったから、親が心配したというだけの話です」と否定的に語っている。

作家として

芥川賞受賞

一橋大学在学中に、『太陽の季節』で第34回「芥川賞」を受賞。

『ひばり裕次郎 昭和の謎』によると、「昭和三十年、まだ一橋大生だった石原慎太郎が書いた『太陽の季節』が芥川賞を受賞したが、その余りにえげつない風俗描写に世間は眼を剥 (む) いた。青い海原にうかぶ白いヨットやモーターボートの上でくりひろげられる若い男女の赤裸々なセックス、恋人交換、殺人。そして―、

[裸の上半身にタオルをかけ、離れに上がると彼は障子の外から声を掛けた。“英子さん”部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起 (ぼっき) した陰茎を外から障子に突き立てた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた (『太陽の季節』) 。〕

この"勃起 (ぼっき) する男性シンボル"場面は文壇にも旋風を巻き起こし、支持派と反対派の真っ二つに分れた。支持派の舟橋聖一は、"若い石原が世間を恐れず、率直に生き生きと《快楽》に対決してその実感を容赦なく描き上げた肯定的積極感が好きだ"と述べ、反対派の佐藤春夫は、"この作者の鋭敏げな時代感覚も、ジャーナリストや興行者の域を出ず文学者のものではない。美的節度の欠如"と評し、カンカンガクガクの論争が続いた」

現在に至るまで

その後『処刑の部屋』 (映画原作) 、『聖餐』といった現代の世相を鋭くえぐり出すのが特徴の同種の作品を多数発表した。1957年10月『新潮』に発表した「完全な遊戯」について、高見順宅へ行った際、『群像』編集長の大久保房男と口論になり、『群像』には一度も執筆していない。

政治家への転身以降、発表する作品数は減ったものの、現在に至るまで一貫して創作活動を行っている。1970年 (昭和45年) に書下ろし長篇『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、1988年 (昭和63年) 、『生還』で平林たい子文学賞を受賞。弟裕次郎を描いた1996年 (平成8年) の『弟』は120万部を売り上げ、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。創作以外でも『スパルタ教育』 (1969年、70万部) 『「NO」と言える日本』 (1989年、125万部) 、『法華経を生きる』 (1998年、33万部) 『老いてこそ人生』 (2002年、82万部) などのベストセラーを刊行している。

1995年から2012年まで芥川賞の選考委員を務めていたが、辛口の批評が多かった。石原が推して受賞した者に辻仁成町田康青来有一中村文則青山七恵西村賢太などがいる。また1992年から1999年まで三島由紀夫賞選考委員を務めた。2012年の第146回芥川賞の選考会の前に候補作のほぼ全てを中傷したが、選考会後に受賞者の田中慎弥に批判を受けると「田中君の作品は評価していた」と発言をし、その直後に選考委員を辞任した。

映像作家としては、弟の裕次郎を世に送り出すことになった自作の映画化『狂った果実』で脚本を担当して以降、映画やテレビで自作小説の脚色を多く手がけている他、1958年 (昭和33年) 、東宝映画『若い獣』で初監督を務める。2007年 (平成19年) 5月には映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』を発表。制作・指揮・脚本を手がけた。

東京都知事として

財政運営面では、財政危機に対応し自らの知事給与を10%カットするなど、人件費の圧縮や福祉教育及び学術研究予算の削減を行い、一方で「東京から国を変える」をスローガンに自らの発案になる大型プロジェクトや臨海開発事業へは積極的な投資を行うのが石原都政の特徴である。銀行への外形標準課税 (銀行税) の導入、日本初で世界三番目のキャップ・アンド・トレード型排出量取引制度の導入、浮遊粒子状物質 (SPM) を減らすためのディーゼル排ガス規制での硫黄除去装置導入、中小企業の支援のため1000億円の都予算を投入した新銀行東京 (石原銀行とも) の設立、首都大学東京の開学など、全国に先駆けた政策は注目を浴びた。知事三期目は二度目の東京オリンピックの開催を実現することを選挙公約とした。

特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債 (借金) は、バブル経済崩壊後の景気回復の影響を受けた都税収入の増加などにより、都の財政が黒字化して債務は減少しつつある。一方、特別会計や監理団体の財政は厳しく、これまで都が運営してきた多くの施設の財団化、もしくは指定管理者制度の導入による民営化を進めている。

また、日本の警察官の増員、警察官僚出身の竹花豊副知事への任命など治安対策を重視しており、新宿歌舞伎町などの違法営業店の数が激減した。

2007年 (平成19年) には猪瀬直樹を副知事に起用。猪瀬は東京DC特区構想 (山手線の中側を中心とした区域を政府直轄地にして東京から切り離す) を提案し、オリンピック誘致にも懐疑的であるなど主張が異なる部分もあるが、石原は猪瀬について、「個人的に次の知事にふさわしいと思う」と話している。知事・副知事共に現役の作家というのは異例の組み合わせである。同年、東京マラソンの開催を実現した。

主要な政策

新銀行東京

新銀行東京参照

2003年 (平成15年) 、東京都が石原の発案で「東京発金融改革」と銘打ち、「資金調達に悩む中小企業を救済すること」を理念として設立した。

2008年 (平成20年) 3月までに1016億円の累積赤字となっており、既に東京都の出資分1000億円を超過している。さらに、2005年 (平成17年) 4月から2008年 (平成20年) 1月までに出資した2300社が経営破綻し、285億円が不良債権化している。石原は同銀行の再建について「経営者に責任がある」「不退転の決意で必ず再建する」として、400億円の東京都による追加出資を行う方針を示したが、『産経新聞』や『読売新聞』も社説で銀行廃止を求めたほか、与党自民党も含め都議会の一部も増資に反対した。石原は2008年 (平成20年) 1月11日の都議会で「トップダウンで銀行設立を決めた知事の責任が大きい」との追及に対し、「私が社長ならもっと大きな銀行にしていた」「都民から預かった大事な税金を失いきる前に、私には銀行を再建する責任がある」と反論し、責任を否定すると共に存続を主張した。

世論調査では都民の7割以上が反対していたが、結局都議会は400億円の税金投入による銀行再建を自民、公明両党の賛成多数により可決した。追加出資の400億円は都民1人当たり約3100円に相当し、すでに都が出資した 855億円を合わせて都民の負担は約11000円に達する。この問題ではNPO法人情報公開クリアリングハウスが2009年 (平成21年) 6月、出資金の計1255億円は回収が見込めない、石原と旧経営陣への賠償請求を都に求める住民訴訟を起こしている。

石原は、新銀行東京が2009年 (平成21年) 5月に発表した2009年3月期決算において、同行の赤字が再建計画より少ない金額に留まったことについて「いい成り行きを見せており、とても嬉しい。早く単黒 (単年度黒字) を出すようになってもらいたい」と述べている。

都立高校改革

都立高等学校は、1967年 (昭和42年) の学校群制度導入以来、東京大学を初めとする難関大学への進学実績が大きく落ち込んでおり、1999年に都知事に就任した石原は、学区制を廃止して競争原理を導入し、生徒に選ばれる特色ある学校づくりが必要だという強い思いを持っていた。東京大学の鈴木啓和は、石原の就任後に実現していった「学区制の廃止」や「進学指導重点校」の制度、そして「エンカレッジスクール」は、石原の影響により実現していったものとしている。2000年2月には都立九段高校で特別授業の講師担当。

2001年 (平成13年) 、横山洋吉教育長(のち東京都副知事)は「進学指導重点校」を指定した。第一号に日比谷西戸山八王子東が指定される。これによって「小尾通達」以来、都立学校としてはおよそ35年ぶりに公式に進学指導を打ち出す。「都立復権」をスローガンに各校が特色を出す方針を打ち出し、進学指導も都民の多様なニーズに応える一つの施策として位置づけられる。2003年 (平成15年) には第二号として国立立川青山を追加した。2003年 (平成15年) には学区制度を完全撤廃、2005年 (平成17年) には都立学校では初となる附属中学を開校し中高一貫教育に乗り出した。中高一貫となる都立学校は、2010年 (平成22年) には10校まで増える予定である (桜修館小石川白鴎両国富士大泉南多摩北多摩武蔵三鷹) 。2007年には「進学指導特別推進校」に新宿駒場小山台国分寺町田の5校が指定された。いわゆる中堅校に対しては「中堅校活性化推進事業」を展開し、学区撤廃に伴って各校が特色を出すことを推進。また、需要の少なくなった底辺校定時制や職業科の廃統合を「下から順番につぶす。」「高校の事業整理。」として積極的に行った。自身は学歴感について「オール5を取っても使い物にならない役人にしかなれない。」「自分は東大に50人近く合格者を出した高校で東大へ行けなかったんだから落ちこぼれだった。」「何かひとつ秀でたものがあればいいんだ。」等と著書や講演や息子である良純の書いた著書の中での慎太郎の発言として述べている。

認証保育所制度の創設

国の認可保育所に申し込み、用件を満たしているものの、保育所の不足により、入所待ちを余儀なくされている待機児童が増加しており、都内にはその受け皿となる無認可保育所が存在していた。しかし無認可のため、有資格者が不足していたり、環境が劣悪なところもあった。そこで石原は国の認可保育所に頼るのではなく、都独自の基準を設けて、都市型保育のニーズに応える認証保育所を創設。2001年8月1日に都内三カ所でオープンし、2011年現在で615ヶ所の認証保育所が設置されるに至っている。

福祉改革

「何が贅沢かといえば、まず福祉」の主張に基づき、石原都知事主導で「福祉改革」 (社会保障費の削減・合理化) を行った。1999年 (平成11年) から2004年 (平成16年) までに以下の政策によって福祉予算を661億円削減した。

  • シルバーパス (敬老パス) を年間1千円に有料化
  • 寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止
  • 障害者医療費助成の対象を縮小
  • 特別養護老人ホームへの補助を4年間で181億円 (85%) 削減
  • 難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外
  • 盲導犬の飼育代、盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止

石原の主導で、「利用者指向の『開かれた福祉』」を目的として下記のとおり「東京都福祉改革推進プラン」が行なわれている。

  1. 利用者が「選択」するために必要なサービスの質と量の確保
  2. 安心して「選択」できるためのしくみづくり
  3. 利用者指向のサービス実現のための「競い合い」の促進
  4. 「地域」の力と特性を活かした身近なサービスの提供
  5. 社会の変化に合わせた一歩先の福祉を構想

平成18年度の東京都の福祉保険局予算は7,114億5,200万円となり、東京都予算 (一般会計総額6兆1,720億円) 全体に占める割合は11.5%となっている。

米軍基地返還

青山公園参照

米軍横田基地の返還・軍民共同利用を公約とし、また麻布ヘリコプター基地 (赤坂プレスセンター、ハーディバラックス) が不法占拠している都立青山公園の該当部分返還を要求している。

外形標準課税

一定規模以上 (資金量の残高が5兆円以上) の大手銀行を対象に、5年間の時限措置として外形標準課税を導入した (いわゆる銀行税) 。しかし銀行側は「狙い撃ち」と反発し訴訟に発展、東京高裁森脇勝裁判長は銀行への課税自体は合法と認めた上で、税率負担の水準が不公平で高すぎるとして違法と判断、都側は事実上敗訴した。平成12年度から15年度までの銀行税収入は3173億円にのぼったが、銀行側と税率引き下げを条件に和解し年率4.1 - 4.5%という高率で発生した還付加算金123億円を含め2344億円を銀行側に返還した。

敗訴の結果、銀行税は導入時の3%から、過去10年間の銀行の納税額の平均である0.9%へと引き下げられ、都の税収は同税導入以前の水準とほぼ同じ829 億円に留った。「税収を増やす」という本来の目的としては失敗したものの、自治体の独自課税の動きに大きな影響を与えた。

カジノ構想

税収を増やすためにお台場カジノ構想を提案していたが、現行の法律ではそれができず、実施には国会による法改正を必要とするので実現見通しが立たず2003年 (平成15年) に正式に断念を発表(現在の日本においては、公営競技宝くじスポーツ振興くじ等別途法令で指定された以外の賭け事は全て、賭博開帳図利罪に問われるギャンブルである)。このお台場カジノ構想に関しては、2003年 (平成15年) に公開された映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』にてそれらしきものが描写されている。また「千里眼/マジシャンの少女」 (小学館文庫) [文庫]ISBN:978-4094032604松岡圭祐 (著) でもお台場カジノ構想をテーマにした物語が描かれている。

「後楽園競輪」復活構想

上述のカジノ構想断念を受け新たな税収源を求めるべく2003年 (平成15年) 6月に、東京ドームの地下に現在未使用である競輪用走路が収納されており、また同地の前身が後楽園競輪場であった背景も踏まえ、「後楽園競輪」復活構想を掲げた。その後、三宅島災害復興支援を名目に都議会にも議案を諮ったが、同地の所在地である文京区の住民による反対運動に後押しされた当時の同区区長・煙山力が早速反対の姿勢を表明したばかりか、都議会議員の多くが消極的な姿勢に終始したこともあって難航。加えて、競輪復活計画のまとめ役を務めていた当時の副知事・浜渦武生問責決議により、同職を辞することになったため、この時点で事実上頓挫した。

首都大学東京

設立前後の経緯と大学の詳細については首都大学東京

「全く新しい大学をつくる」と公約。東京都立大学の改編により2005年 (平成17年) に設立された大学である。

一般の名称公募では「東京都立大学」が最多だったが、石原の意向で名称が「首都大学東京」となった。都からの一方的なトップダウンの大学改組や雇用不安定化に対し大学教員側が反発、著名な教授などを含めた多数の教職員が他の大学へ移籍した。また、都立大法科大学院の入試が延期され、近代経済学グループ16名中15名が大学を去り経済学コースが設置できなくなり、採択された21世紀COEプログラム「金融市場のミクロ構造と制度設計」の補助金を返上するなど問題が発生した。

石原は経済学部のCOE返上問題について「一部のバカ野郎が反対して (COEの) 金が出なくなったが、あんなものどうでもいい」と発言している。

ディーゼル車排ガス規制

ディーゼル車の実態と法規制についてはディーゼル自動車

青島都政の政策を引き継ぎ、かねてより環境研究者に指摘されてきた、国の自動車排出ガス規制での対応では不足となっていた東京都の自動車排ガス公害の深刻さに対応するため、ディーゼル車への粒子状物質排出規制を首都圏の他の自治体と共同して行い、2000年 (平成12年) には、都民の健康と安全を確保する環境に関する条例 (通称: 環境確保条例) を制定し、粒子状物質排出基準を超えるディーゼル車の、新車登録7年経過後の走行を禁止した (条例第37条、第38条) 。

この条例については、違法な上乗せ条例であるとの見解や、地域的な特殊性を考慮した適法な条例であるとの見解がある[1]。石原はディーゼル車の数は全ての自動車の中の2割に過ぎないが、全ての自動車から排出される窒素酸化物の約7割と浮遊粒子物質(SPM)のほとんどを排出していることを示し、東京でディーゼル自動車の排気に含まれ排出される粉塵の量が、1日に500ccのペットボトル12万本分にも達するとして、会見等でペットボトル入りの煤を撒いて見せた。このような訴えは、環境省始め国による環境規制の強化を促したとされる。しかし、国は自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法などで窒素酸化物の排出量がガソリン車の10倍であるディーゼル車からガソリン車への転換を図る政策をとっているが、それに乗じCO2排出量が少ないディーゼル車に対する過度の規制や、殊更にディーゼル車を悪者視するかのようなパフォーマンスは地球温暖化対策に逆行するという主張もある。

関連して、環境汚染の原因になるだけではなく脱税の温床となっている不正軽油の撲滅にも注力している。

羽田空港再拡張事業

2010年 (平成22年) 10月に完成・供用が開始された東京国際空港の四本目の滑走路 (D滑走路) は、世界が時間的・空間的に狭小なものとなってきた国際化の時代に、空からのアクセスが国力の維持に絶対に必要なこととの考えのもと、当時政調会長であった親友の亀井静香とともに、当時の運輸省と協議して、15分の交渉で調査費をつけさせ着手に持ちこんだものとされる。

臨海副都心開発

東京臨海副都心参照

鈴木都政下で開始されたお台場臨海副都心開発計画は多額の負債を出して赤字となっているが、石原は事業推進の立場に立っている。当選直後の1998年度 (平成10年度) には第三セクター3 社に対して270億円の財政支援をおこなう計画を追認、さらに都によるビルの借り上げ支援や土地代の減免、収益事業の丸投げなどさまざまな支援策を継続した。その後も投資は継続され、「首都東京の活力と創造力を生み出す新しい重要な事業」として投資や土地の提供など就任後の7年間で2兆5000億円 (2006年まで) を費やした。これに対しゼネコン・ハコモノ重視の土建屋行政という批判がある。

2006年 (平成18年) 5月12日には第三セクター3社(東京テレポートセンター東京臨海副都心建設竹芝地域開発)が財政破綻し、最終的な負債総額は3668億円と確定した。

首都機能移転に反対

首都機能移転参照

首都機能移転には「膨大な経費をかけて新都市を建設するよりも、首都東京の歴史的文化的蓄積を活用すべき」とし、強く反対している。東京が「首都」であることを死守することも念頭に、都立大の後身となる大学の名称には、石原の意向により首都という言葉が組み込んだ「首都大学東京」が採用された。2001年 (平成13年) 11月21日の衆院の「国会等の移転に関する特別委員会」では1990年 (平成2年) に衆参両院で可決された「国会等の移転に関する決議」を「ばかな決議」と批判し、問題となった。しかし、その際に同委員会の委員長から「新聞社の写真等を見る限り、石原参考人は (同決議の際に) 起立していた」と指摘された。この指摘を受けて「周囲を確認するためだった」との回答書を提出した。

東京オリンピック構想

2016年東京オリンピック構想参照

2016年夏季オリンピック東京都での開催を目指し、招致活動を進めた。2006年 (平成18年) 8月30日には国内候補地選定委員会において福岡市を破った。招致経費は55億円とされている。東京都は開催に向けて2006年度すでにオリンピック基金1000億円を積み立てており、その後3年間でさらに3000億円積み立てると表明した。

「五輪が決まれば国が動かざるをえない。東京の欠点は交通渋滞。五輪を引き金に東京の暮らしがよくなる」とオリンピック招致の理由の一つとして道路渋滞の解消を挙げた。

開催都市が決定する2009年 (平成21年) 10月2日に各国の候補都市から東京が選ばれない場合については、「責任を取らなきゃいかんでしょうね」と発言している。

2008年 (平成20年) 6月には皇太子徳仁親王に招致活動への支援を求めるつもりである旨発言。宮内庁東宮職から「招致活動の段階からというのは…」と難色を示された事について「政府が正式に申し込んだら別な話だと思うね。宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるもんじゃない」と述べた。この発言は都議会民主党に7月、「64年東京、72年札幌、98年長野、いずれの招致にも皇族は関与していない。"一種の国家の総力戦”なる発言は国際親善を旨とする皇族の活動とは相容れない、"皇太子が日本のために一席弁じてもらうことに反対する人は誰もいない"なる発言は是非の議論を封じる危険な側面さえ持つ」と批判されている。

また、瑞穂町議会で招致賛同決議案が否決されたことに対して「頭がどうかしているんじゃないのか、あとでほえ面かくな」と発言した。

なお、2016年夏季オリンピックは、2009年 (平成21年) 10月のIOC総会でリオデジャネイロにて開催される事が決定した。この結果に対して6日、「ブラジルの大統領が、聞くところ、アフリカの人にかなり思い切った約束をしたというようです。サルコジ大統領もフランスの戦闘機を買ってくれるなら、ブラジルを支持するとか」と裏工作の存在を臭わせる発言を行ない、ブラジルの国内委員会から"聞き捨てならない。ルール違反でありIOCに通知する"とクレームを表明されたが、石原は「本当の事を言ったまでのことだけ」と反論している。

石原は2009年 (平成21年) 11月9日2020年夏季オリンピックにも東京都を再度立候補させる意向を表明した。

東京マラソン

東京マラソン参照

2003年、石原は「経済波及効果、スポーツや観光の振興につながる」と述べ、銀座などの目抜き通りを走る構想を発表。石原の提唱により、東京都と日本陸上競技連盟で大都市マラソンを開催することを目指して協議を開始し、2005年両者は「東京マラソンに関する基本合意」を締結。

制限時間について事務局サイドが7時間を想定したのに対し、公道を警備する警視庁は5時間を求めたが、石原がニューヨークシティマラソンのランナーから東京マラソンでは7時間にするよう要望されたことが念頭にあり、組織委員会の実務責任者だった遠藤雅彦は「7時間を一歩も譲るな」と担当者に指示、折衝は難航を極めるが、最終的には石原の後押しもあって事務局サイドの主張が通る形となった。2007年の第1回大会には9万5千人の応募者から抽選で選ばれた約3万人が参加し、沿道には178万人の観衆が集まった。

大会会長を務める石原は、2008年2月15日の会見において当初よりも参加枠を広げていることを示し、「将来的に5万人」にして世界の市民マラソンに匹敵する大会にしたいという目標を述べた。また、2009年3月19日の定例会見では「多額の参加費を支払う人の別参加枠を 1,000人ほど設けて、参加費を超える部分をチャリティに使いたい」と目標を述べ、2010年10月15日の定例会見においてチャリティー枠を1,000人募集すると発表。2011年大会では参加費10万円のチャリティー枠に応募した707名から約7,300万円の寄付金が集まり、寄付金は東日本大震災の復興支援などに充てられた。応募者が参加枠の1000名を超えると期待していた石原は707名という応募者数について、他国の事例からすると募集をアナウンスしてから締め切るまでの時間が短すぎたことが誤算であったとし、それでも7000万の寄付金が集まったことは良い事例ができたものであり、翌年からはもっと多くの応募があることを期待しているという声明を出した。

ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版の山口肇記者は、石原の肝いりで始まった東京マラソンは市民ランナーの増加に大きく貢献してきたとし、2011年大会において石原が都知事最後となる可能性があったことから、石原が都知事を辞めた場合、2012年以降の大会運営が気になるとして、後任知事の「事業仕分け」の対象になることを危惧するという一市民ランナーとしての見解を伝えた。

三宅島オートバイレース大会

チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル参照

石原は2000年 (平成12年) に発生した三宅島火山噴火による観光客減少への対策として、イギリスマン島で行われているマン島TTレースを参考に、日本初となる一般道路を使用した本格的なオートバイレースを三宅島で開催することを提唱した。レースは東京都三宅村が主催し、2007年 (平成19年) 11月9日から11日に開催が予定されていたが、「公道でスピードを競うのは危険すぎる」との意見が本田技研工業など二輪大手4社から続出し、中止が決定した。都は、専門家による検討経費などに4000万円、都道改修に3億円を2007年度予算に計上していた。結局、三宅村では代替イベントとしてチャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバルを開催することを発表している。

東京都が2006年 (平成18年) に三宅島で実施したテスト走行に参加したプロレーサー3人のうち2人が報告書で危険性を指摘し、公道レースの開催に反対を表明していることが2007年 (平成19年) 2月23日の都議会で明らかになっており、バイクレースの専門家からも「殺人レースだ。絶対にやめるべし」と批判されていることに対し、石原は「レースは危険があるからエキサイトする。ある程度ライダーの自己責任もある」として同レースを強行する姿勢を示していた。また、『朝日新聞』は「三宅島は現在も火山ガスが噴出しており航空路は再開していないため、観光客誘致の起爆剤となるのかは未知数」と報じた。石原は観光客や機材の輸送には海路を用いる考えを示していた。

築地市場移転計画

築地市場#市場移転問題参照

石原は、中央区築地にある築地市場を、施設の老朽化やアスベスト問題のため、2012年度を目処に江東区豊洲地区へ移転させる方針を明らかにしているが、予定地である東京ガスの工場跡地において、環境基準を超える毒物 (ヒ素六価クロムシアン水銀ベンゼンの6種類が国の環境基準を超えており、発癌性物質であるベンゼンにいたっては国の基準の1500倍である) が検出されるなど土壌汚染が判明している。また、土壌を入れ替え、アスファルトで被覆する都の対策では不十分との指摘がある。一部の関係者は「生鮮食品を扱う市場の移転先としては論外」とし、築地市場移転反対派の団体「市場を考える会」が中心となって移転反対運動を行っている。

石原は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」と述べて、移転計画に変更は無いとし、移転後の跡地には「2016年東京オリンピック」のメディアセンターを建設する構想を明らかにしている。

また、石原は2006年 (平成18年) 9月8日の定例記者会見において築地市場跡地に「NHKが移転する」と発言したが、NHKは「そんな計画はない」と否定している。

2007年 (平成19年) 10月6日には、東京都は移転予定の豊洲において調査した56カ所のうち14カ所で有害物質のベンゼンが基準値の1000倍の値で検出されたと発表した。

参議院議員宿舎建て替えに反対表明

議員宿舎#参議院議員宿舎参照

都心部である千代田区紀尾井町に残るわずかな緑の空間を候補地にした、参議院による新清水谷議員宿舎建て替えに反対を表明した。宿舎立て替えは2011年現在、まだ着工には至っていない。

都立霊園再開発

谷中霊園青山霊園など、使用料の払われていない無縁墓地を整理・除去し、空いたスペースを2003年 (平成15年) より新たな貸付スペースとしている。併せて、霊園内の再開発の理由も相まって、舗道の敷石の撤去、前述の新たな貸付スペース確保の理由と合わせて大木など木々の伐採が進み、さらに側溝板の設置などにより、そこを寝床等にしている周辺の小動物などに影響が出ている。また、無縁墓地の改葬には外人墓地は含まれないことになり、日本人墓地だけが対象となっている。

都営住宅・特別養護老人ホームの増設拒否

石原は、前記の通り「何が贅沢かと言えば、まず福祉」とする政策の下、都営住宅・特別養護老人ホームの増設を一切拒否しており、これら高齢者用の施設への入居を必要としながら入居することのできない高齢者が2011年4月1日の時点で4万3千人を超えている。2009年3月30日、群馬県渋川市の無届老人ホーム「たまゆら」で火災が発生し、入居していた高齢者10人が死亡したが、そのうち7人は東京都内に入居できる施設がなく、最終的に都外の「たまゆら」へ追いやられた高齢者であったと東京土建労働組合は主張している。

都立児童養護施設の廃止

石原は、前記の通り「何が贅沢かと言えば、まず福祉」とする政策の下、病弱児の児童養護施設・成東児童保健院をはじめ、都外に設置されていた3か所の都立児童養護施設を廃止した。 これらの施設に入っていた子どもたちは、「ぼくたちの安心の居場所をなくさないで」と訴えたが願いは聞き入れられなかったと共産党は主張している。

「非実在青少年」規制

東京都議会の平成22年第1回定例会で「児童ポルノや子供への強姦等を描いた漫画の蔓延を、見て楽しむだけなら個人の自由である、いかなる内容であっても表現の自由である、と許容することは、これは自由の履き違えであり、青少年を守り育てる大人としての責任と自覚を欠いた、未成熟な人間の自己保身に他ならない」と述べて成人向け漫画愛好家達を糾弾し、「青少年健全育成条例(東京都青少年の健全な育成に関する条例)を改正し、児童ポルノの根絶とこの種の図書類の蔓延の防止に向けて都が、都民、事業者と一体となって取り組み、現在のおぞましい状況にこの東京から決別していきたい」と宣言した。3月19日の定例会見では「私は残念ながらね、 (規制の) 対象となっているものは読んでもいないし、見てもいないのでねぇ」と言う一方で、漫画やアニメが青少年に害悪を与えることがあるのかどうかについては「ありますよ、そりゃ。 (記者に向かって) ないと思うのか君」と根拠を示さずに断言した。

同条例改正案は2010年 (平成22年) 6月14日都議会総務委員会において民主共産両党と生活者ネットワーク・みらいの反対票によって否決、同16日に本会議でも否決された。都議会で知事提出の条例案が否決されるのは12年ぶり。修正の上で民主、自民、公明の3党が再提出した結果、2010年 (平成22年) 12月15日に可決され成立した。

石原本人の著作には18歳未満の児童に対する強姦輪姦や、障害者女性に対する輪姦などを扱った物があり (『太陽の季節』『完全な遊戯』等。前者の映画化で内容が問題となり設置されたのが映倫である。また、『処刑の部屋』の映画に誘発された犯罪が実際に発生している) 、この点について ちばてつやは「知事が小説家としてどういう作品を書いてデビューしたかは皆さんご存じだと思う、表現は自由であり若者の支持を得てデビューした原点は忘れないで欲しい、文化が滅びる」と批判している。

2010年 (平成22年) 12月17日、過去に行った「いかなる書物であっても、子供たちを犯罪や非行に教唆することはない」という自分の発言を撤回した。その際、発言当時には変態を是認するような作品は存在しなかったと釈明した。

『J-CASTニュース』によれば、2011年 (平成23年) 5月17日、東京国際アニメフェアとこれに対抗して予定されていた「アニメ コンテンツ エキスポ」が共に東日本大震災の影響で中止されたことについて、生番組内で「両方とも震災でパーになった。ざまぁみろだ」と発言し、同時に、エロマンガを子どもの手の届くところに置くなという条例を作ったもので、なぜこれが言論統制なのか、と条例案への批判は当たらないとの見方を示し、その場に同席した 田原総一郎は「例えば大人の本でも、ヌードが多い本なんかは、ビニールで囲ってある。その程度のことをやれってことでしょ?」と同意を示した。この際の石原の「ざまぁみろ」の発言に関して、朝日新聞は「このような発言を続ける人物が首都の首長でいられること、そして選んだ都民の神経を疑う」という読者の投書を載せた。

選挙公約

  1. 大塚直『環境法』