飯塚事件

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飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年久間三千年女児2人を殺害し、死刑となった事件。完全にクロといえる証拠があるのだが、一部マスコミによる偏向・捏造報道によって、被害者遺族に二次被害を与えている。

この報道被害に関しては、飯塚事件(Enpedia)を参照。メディアリテラシーを測定するにはうってつけの事件であり、ジャーナリズムとは何かを考えさせられる。

この事件の冤罪派は2つに大別でき、①報道を簡単に信じてしまう人②本当は冤罪だとは思っていないが冤罪報道を利用したい死刑反対論者のどちらかである。残念ながら、冤罪派の中に、③挙がった証拠や判決文を自ら検討した上で冤罪だと信じる人(まともな冤罪派)はまずいない。そのため、冤罪ではない根拠を説明しても、「捜査関係者乙」と言うだけで全く話を聞こうとしないし、報道されない重要な証拠の存在を認めないので話が噛み合わない。

事件の概要

1992年2月20日、福岡県飯塚市小学1年生の2人の女児が登校中に行方不明になり、翌日に山中で共に性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。

同地域では、1988年に同じ小学校の女児が行方不明になって未解決であった。福岡県警は、その際の重要参考人であった久間三千年(54歳)を事情聴取。その後、久間が私服警官2人を切りつけたため緊急逮捕され[1]罰金10万円の略式命令を受けた。

女児殺害に関しては、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たもののそれだけでは逮捕に至らず[2]、繊維片の一致が決め手となって[3]、死体遺棄容疑で久間を逮捕。同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。

足利事件で当時のDNA鑑定が否定されたため、マスコミではやたらこの事件でもDNAが最大の決め手になったように捏造報道しているが、逮捕の経緯から見ても、DNAが最大の決め手になったというのは明らかな捏造である

裁判

第一審判決→[1] 第二審判決→[2] 最高裁判決→[3] 再審請求第一審決定→[4] 再審請求第二審決定 →[5] ←詳細は判決文(かなり長い。冤罪派は読まないので議論がかみ合わない)参照

裁判で認められた客観的事実

①被害者の衣服に着いていた繊維片と久間の車シートの繊維片の特徴が一致。
②被害者の膣内に犯人の血痕が存在しており、被害者の下着には血痕がついていないため手指からの出血ではなく(第1審判決)、唾液も検出されていないから口腔内の出血でもなく(第2審判決)、犯人の陰茎からの出血といえるところ、久間が亀頭包皮炎に罹患しており陰茎から出血する症状を有していた。←一般紙やニュースはもちろん、冤罪誘導報道では絶対に報道されない証拠
③久間は、当初自分は亀頭包皮炎で性的に困難だからやっていない旨を主張していたにも拘わらず、犯人の陰茎出血が明らかになった公判段階では、突然完治していたと供述を変更。上記証拠が報道されないため、これも当然報道されない
④久間と妻は、病状を否定するために、某薬局でフルコートFを買ったことはないと主張するも、店主と店員が久間を常連客として覚えて、しかも強力な皮膚薬だったからはっきり覚えていた。上記証拠が報道されないため、これも当然報道されない
⑤久間の車内からかなりの人尿痕と血痕が発見。
⑥久間の妻は、自動車内で自分や息子が尿をもらしたことはないと捜査員に言っていたにも拘わらず、車に尿痕が残っていたことが明らかになった公判段階では、突如わかりませんと供述を変更。
⑦遺品遺棄現場のT氏の目撃証言と久間の車(紺色・ダブルタイヤのワゴン)の特徴が一致。
⑧久間側はT氏の証言は警察に誘導されたものだと主張したが、T氏は職場で遺体発見のニュースを聞いて同僚J氏に不審車両の話をしており、さらに裁判でJ氏も証人として出廷して、そのときの会話でT氏が紺色・ダブルタイヤのワゴン車という特徴を話していたと証言。←冤罪誘導報道では絶対に報道されない証拠。Tさんの証言の正確性を担保する極めて重要な証拠なのに。
⑨D氏とV氏が、遅刻していた女児2人を見落とすはずがない狭い道を通りながらも約3分差で女児2名を見ていると見ていないとの証言をするなど、この時間にこの場で誘拐があったと見られ、そしてX氏とW氏は、D氏とV氏とは反対方向に進んで車両を止めたところでD氏とV氏と見られる車の他に、久間が乗っていたのと同じ紺色・ダブルタイヤのワゴン車を見たと証言。←冤罪誘導報道ではなぜか誘拐現場直近の証言ではなく小学校付近の軽い証言と捏造報道され、その具体的な状況・内容が全く報道されない目撃証言
⑩久間の車内にあった血痕のDNA(TH01型・PM型。2万3000人に1人の割合で一致)が被害者の一人(鼻血を出していた方)のものと一致。
⑪なぜか久間は事件後、車のシートを外して水をかけて洗浄(おかげで、車内の血痕からMCT118型は検出されず、TH01型・PM型鑑定の成立を待たねばならなかった)。←冤罪誘導報道では絶対に報道されない事実。
⑫久間のDNA(HLADQα型)が犯人の物と一致。
⑬被害者の膣内や周辺にあった血痕と久間のDNA(MCT118型)が一致。
⑭被害者の膣内や周辺にあった血痕の血液型と久間の血液型がB型で一致。
⑮事件があった時間帯、妻を送ったあと母親に米を届けに行っていたという久間の主張は裏付けが全くない。
⑯「事件当日は妻を送ったあと母親に米を届けに行っていた」という久間の主張するアリバイについて、妻は捜査段階では日付は曖昧だったのに、公判段階では日付を明確に主張。
⑰久間も、捜査段階では、妻を送った後一回帰宅した後に母親宅に行った、と言っていたので捜査員が久間の証言に基づいて走行してみると犯行時間帯にちょうど現場を通ることが判明。
⑱すると、久間は公判段階では、妻を送った後直接母親宅に行った、とアリバイの主張を変更。
⑲しかも、そのように供述を変更した契機や時期も、捜査段階と公判段階で変更。
⑳弁護士が、久間はこんなことをするはずないということを主張するためか性格分析を依頼するも、鑑定人は、久間が情性欠如型の性格異常者であるとして、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっていると認定。

死刑執行

2008年10月28日、森英介法務大臣(当時)によって久間の死刑執行がなされた。享年70[4]。 なお、馬鹿なマスコミは、他の事件と比較してこの事件は死刑執行が早すぎるといって難癖をつけているが、以下を見るように、この頃は死刑確定後、2年少々で執行するのが普通だったのであり、死刑執行が早すぎるというのはマスコミの捏造である。
だいたい、当時は再審請求中は死刑執行をしないという慣行がある中で、死刑囚の7割が再審請求中と言われているんだから、再審請求をしていなくて、比較的高齢で、犯行時から16年以上経っている久間が死刑執行の対象になることのどこがおかしいのだろうか。しかも、幼女・児童に性的暴行を加えて殺害した事件で2007年までで生き残っていた死刑囚は、宮崎勤と久間の2人だけだったのだから、その宮崎が2008年6月に執行された以上、次は久間という流れになるのは当然である。
陸田真志  08.06.17執行 犯行後12年05月 確定後02年08月 鳩山邦夫
宮崎 勤  08.06.17執行 犯行後19年00月 確定後02年05月 鳩山邦夫
平野 勇  08.09.11執行 犯行後13年08月 確定後02年00月 保岡興治
山本峰照  08.09.11執行 犯行後03年07月 確定後02年05月 保岡興治
萬谷義幸  08.09.11執行 犯行後20年07月 確定後06年09月 保岡興治
高塩正裕  08.10.28執行 犯行後04年07月 確定後01年10月 森英介
久間三千年08.10.28執行 犯行後16年10月 確定後02年01月 森英介
西本正二郎09.01.29執行 犯行後04年04月 確定後02年00月 森英介
佐藤哲也  09.01.29執行 犯行後08年09月 確定後02年05月 森英介
川村幸也  09.01.29執行 犯行後08年09月 確定後02年05月 森英介
牧野 正  09.01.29執行 犯行後18年10月 確定後15年02月 森英介
陳 徳通  09.07.28執行 犯行後10年02月 確定後02年01月 森英介
山地悠紀夫09.07.28執行 犯行後03年08月 確定後02年01月 森英介
前上 博  09.07.28執行 犯行後04年05月 確定後02年00月 森英介

再審請求

2009年10月、第1審判決で触れられているような証言の翻しや偽証をしていた久間の妻が福岡地方裁判所に再審請求したが、再審請求は第1審・第2審・最高裁すべて棄却された。

マスコミによる冤罪誘導

マスコミが目をつけ始めたきっかけ

2009年6月、足利事件で有罪判決を受けていた菅家利和氏がMCT118型検査法による鑑定結果を最新のDNA型鑑定によって否定された。そこで、同じくMCT118型検査法を使っていた本事件もマスコミで採り上げられ、そこでは、国家が無実の人に死刑を執行してしまったのではないかというスタンスで報道された。

しかし、足利事件は以下の特徴があった。

  • DNA型がほぼ唯一の証拠でありその証拠力が最大の争点となった。
  • 当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を、新しいアレリックラダーマーカーで計測したところ、犯人と服役囚のDNA型が一致しなかった。

それに対して、本事件は以下の特徴があった。

  • 第二審でアレリックラダーマーカーが検討されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法も用いられている。
  • 複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」ことを前提に判決が下されている。

しかし、マスコミはこれらの点を無視している。

また、足利事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件であった[5]が、本事件は日弁連ですら支援していない事件であることからして察するべきである

なぜマスコミは冤罪に誘導するのか

  • 『無実なのに死刑執行!』というキャプションなら視聴者を引き付けやすいから。実際、ザ・スクープSPは、冒頭から「国家権力は 無実の男性を 殺してしまったのか!?」という巨大なテロップとナレーションでスタートしている。
  • 無罪が確定した事件に対して「これは有罪だ」という方向に誘導する報道の場合、その無罪確定者に対する人権侵害となり、損害賠償沙汰はもちろん、放送免許剥奪レベルの大騒動になりかねない。逆に、有罪が確定した事件に対して「これは無罪だ」という方向に誘導する報道は、報道の中立性という点では悪質でも表現の自由・報道の自由がある以上、国からも文句を言われない、要するに冤罪に誘導するのなら、捏造・偏向報道を垂れ流しても誰も責任を取らなくていいから
  • 弁護士の意見に沿って展開すればいいので、番組制作としても楽だから。
  • 単純に、この事件の判決文はたいへん長いためにマスコミが自身で読む能力がないなどの理由で弁護士の意見をそのまま信じてしまったから。

弁護団の理屈

弁護団は、2012年10月に記者会見を開き、犯人のものとされるDNA型の写真のネガフィルムを鑑定したところ、ネガの周辺が切り取られておりその部分から第三者のDNA型も確認された旨、及び、そのような切り取りがあったので改竄捏造の可能性がある旨を主張した[6]。もちろん、弁護側なのでこういう主張をするのは当然だろうが、その主張をろくに検証せずにあたかも新証拠が真実の担保された形で発見されたように流すマスコミの姿勢にはうんざりである。

なぜなら、ネガの切り取りだとか言っているが、そもそもオリジナルのネガは裁判で提出されているどころか、証人尋問というマスコミにも裁判傍聴者にも公にされている場で、元のネガと照らしながら尋問がなされており、証人尋問であるから当然弁護士も反対尋問したのであるから、実は新証拠でも何でもないのである

だいたい、弁護団が第三者のDNA型と主張する部分については、どうみてもノイズにしか見えない部分であり、実際に再審請求でもエキストラバンド(余分な帯)という結論を下されている。 百歩譲って第三者のDNA型が現場にあったとしても、それは現場にいた虫とかのDNAかもしれず(そもそも、他の生き物のDNAがつく可能性を主張していたのは冤罪派の方である)、そこからさらに百歩譲ってその第三者のDNA型が人間のものであったとしても、久間のDNA型に当たる部分も明確に映っているのであるから、せいぜい久間に共犯者がいたことを新たに裏付けるだけであり、久間が黒であることには変わりないのである。

判決文をろくに読んでいない(もしくは意図的に誘導した)ためにツッコミどころ満載の報道

これは飯塚事件(Enpedia)で記述してあるが、概ね

  • DNA型鑑定の精度が低い
  • 遺留品発見現場でのT氏の目撃証言が疑わしい

という2点だけを、しかも偏向して報道しているため、ツッコミどころが満載である。特に、Tさんが目撃翌日に職場で遺体発見のニュースを聞いて同僚Jさんに前日見た不審車両の会話をしており、そのJさんが法廷で、そのときに聞いた車両の特徴とTさんの目撃証言は一致していると証言したことには意地でも触れないのである。なぜなら、この証言に触れると、やっぱり久間はクロでしょうと言われてしまうからである。

清水の本から冤罪を感じていた元裁判官が冤罪を主張しなくなったワケ

これに関して、清水潔の本を読んだ瀬木比呂志元裁判官の記述の変化が興味深い。

当初の2015年の瀬木の著書『ニッポンの裁判』では清水の著書から冤罪の可能性を感じ取っていたと思われる記述が登場する(「この本を読んで真に慄然とした」「もしもこの人物が無罪であったなら、国家は、この人物の生命と名誉を文字通り奪い去ったことになる」「同書第10章に記された、飯塚事件における情況証拠の中でことに重要なものと考えられる車両目撃証言の著者による再検証の結果、鑑定写真に工作が加えられた可能性に関する記述、中心となった弁護士の……言葉は、そのような致命的な誤りの可能性を示唆している」(同著82-83頁))。

しかし、その後、清水と瀬木の対談本『裁判所の正体』(2017年)において、瀬木は飯塚事件の判決文を読んだ(202頁)として、対談相手の清水に合わせながらもかなり慎重な立場になっている。特に決定的なのは、瀬木の2021年単著『檻の中の裁判官』であり、飯塚事件に関する記述は死刑執行のタイミングを疑問視する部分だけになっており(184頁)、冤罪の可能性は全く垣間見れなくなっている(なにげにこれはすごいことで、書名は司法に対する批判を書く本なのに、飯塚事件については執行のタイミングという行政に対する批判だけで、司法に対する批判は皆無なのである)。さらに、同著で死刑制度を批判する理由として死刑は冤罪時に取り返しがつかない点を挙げる際も(202-203頁)、そこで言及するのはすでに再審無罪が確定した事件と袴田事件だけであり、再審請求が現在進行中の飯塚事件(しかも死刑が執行されているのだから、ここで言及するには最適な事案のはずである)には全く触れていないのである。これは、判決文を読んだらやっぱりクロだよねと思ったためにもう冤罪だと思わなくなった、ということなのだろう。

救いようのない冤罪派

捜査機関や司法は疑うくせにジャーナリストは100%信じる知的水準

以上のように、このような冤罪誘導報道は、おおむねマスコミの報道をすぐに信じてしまう知的水準の人たちに大いに歓迎され、彼らを冤罪派に仕立てあげた。

彼らは、例えばこのスレッドで登場するID:LAhYQiHt0及び569raQtK0に典型的に見られるように、Tさんの目撃証言は自分が翌日に聞いた特徴と一致していると証言したJさんの話をしても、その証言は間違っていると言ってJさんの存在に全く触れていない厳島教授の説を出してきたりする(レス396)など、そもそも証人の区別がついていないのである。このように冤罪派はJさんの存在がいることすら理解できないなど、ジャーナリストが貴重な証拠を隠して報道しているなんて想像がつかないのである。

しかも、この冤罪派は清水潔の話をなぜ信じているのか聞かれると「他の本も併せて読んで、これが真実以外にありえないと思ったから」(レス346)と言い切っているくせに、清水の本を持っていない(レス402)という有り様で、しかも清水は当該著書で日本テレビの制作スタッフであるということに何度も触れているのに、この冤罪派は「TBSだったかの報道特集で見た」(レス393)と、そもそも清水の所属先すら知らないのである。おそらく、立ち読み程度の流し読みとテレビを受け身で見ただけで内容を信じ切ってしまったのだろう。

1988年の女児行方不明事件における冤罪派

本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人(久間の息子)を訪ねて久間宅に遊びに行ったのを最後に行方不明になる事件が発生(愛子ちゃん行方不明事件)[7][8]。本件で逮捕後の久間をポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された[7]。久間は事件当日に女児と会っていた事は認めたが、行方については知らないとした。その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。

困ったことに、冤罪派は、そのときに見つかったジャンパーやトレーナーが妙に新しかったので、これは警察による証拠捏造であると主張している。しかし、仮に不自然にそれらの衣服が新しかったとしても、この度の2女児殺害事件により家宅捜索を恐れた犯人が、隠し持っていたこれらの衣服を慌てて捨てたと考えればもっとも整合する(愛子ちゃんの行方不明に事件性が認められていない以上、2女児殺害事件までは家宅捜索される可能性もなく、自宅等に隠し持っていたと考えるのがやはり整合する)のであり、そこに何ら不審な点はない。仮に冤罪派の主張を採るとすれば、そもそも事件か事故かすら分かっていない行方不明の事案において、なぜ警察が密かに行方不明女児の衣服を隠し持っていたか説明できない。

さらに、それでもめげない冤罪派は、ジャンパーやトレーナーは2女児殺害事件後に警察が購入したものだとか主張しているようだが、そんなバレバレな捏造が通用するはずないことが分からないのだろうか。まして、仮に警察が購入した捏造証拠であるならば、もし今後愛子ちゃんが遺体とかで誰かに発見されたときにトレーナーやジャンパーを遺体が着ていたら、久間事情聴取中に見つかったジャンパーとトレーナーは警察による捏造だということが簡単に発覚してしまう。そんなリスクを負ってまで、立件に至らないような愛子ちゃんの証拠を捏造したとでもいうのだろうか。

参照元

  1. 1993年9月29日西部読売夕刊
  2. 日本経済新聞1994年9月24日
  3. 毎日新聞1994年9月24日
  4. K死刑囚ら2人刑執行 ペース定着、年間最多更新 47NEWS 2008年10月28日
  5. http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/books/data/hakusho_tokushu2013_1.pdf
  6. http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121025-OYT1T01330.htm[リンク切れ]
  7. 7.0 7.1 読売新聞西部1995年1月3日
  8. 朝日新聞1994年11月11日夕刊